King's Gambit Wind Orchestra

進化と挑戦を続ける吹奏楽団

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アルメニアン・コラム パートⅤ

      2022/05/05

第5回:コミタス

文:木村 颯 《当団トロンボーン奏者》

目次

1.コミタスの生涯
2.虐殺の象徴として
3.現代に生きるコミタス

King’s Gambit Wind Orchestra 第8回定期演奏会に向けた特別企画としてお送りしているこのコラム、第4回の前回はアルメニア人ディアスポラについてお送りしました。「故郷」を離れディアスポラとして生きるアルメニア人は現在でも世界に多数存在します。言葉も違う異郷の地で暮らす彼らは、「我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか」を常に問い続けます。

そんな彼らの拠り所となるのが、アルメニア人が残した文化です。特に、「民謡」というジャンルはアルメニア人の日常や心情が音とともに伝えられるため、アルメニア人が時間と場所を越えて繋がる媒体として重要な働きをしてきました。前回の話にあったように、アメリカで活躍したアルメニア人のバンドディレクターであるハリー・ベギアンは、自身のルーツであるアルメニアの民謡をテーマにした楽曲をリードに委嘱しました。そうして出来上がったのが《アルメニアン・ダンス》なのです。

連載の最終回は、その《アルメニアン・ダンス》や交響曲第3番「コミタスに捧ぐ」に使用されている民謡を収集し、「アルメニア音楽」の礎を築いたコミタスに焦点を当てたいと思います。

1.コミタスの生涯

1869年、コミタスはアナトリア西部のキョタヒアで、音楽の才能を持つ両親のもとに生まれました。生まれの名をソゴモン・ソゴモニアンといいます。幼いころに両親が亡くなり、孤児となったコミタスは教会に引き取られました。コミタスの美しい歌声は、教会の指導者(カトリコス)を感涙させたという逸話が残っています。コミタスは教会に附属する神学校でアルメニア語や教会音楽を学び、才能を発揮します。卒業後は教会の音楽教師として働きながら、アルメニア教会の古典音楽とその記譜法の研究や民謡の収集を行いました。このころ、コミタス(ソゴモン)は「学者」や「博士」といった意味合いの位に叙任され、7世紀の宗教指導者であり詩人、音楽家であったコミタスという人物の名前を与えらえます。これ以降彼は「コミタス」として知られるようになるのです。

さて、コミタスにとって大きな転機となったのがドイツへの留学です。カラムルツァやイェクマリアンといったロシアで西洋音楽を学んだ音楽家との交流はあったものの、コミタスはこのドイツ留学で本格的に西洋音楽を学ぶこととなります。当時著名だったヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムの推薦でリヒャルト・シュミットのもとに学び、同時にフリードリヒ・ヴィルヘルム大学(現在のベルリン・フンボルト大学)で哲学、音楽美学、歴史などを学びました。

フンボルト大学にあるコミタス記念碑。筆者撮影。

当時のドイツでは、ロマン主義の嵐が吹き荒れていました。ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー(1744-1803)が生み出した「民謡」Volksliedという概念は、「民族」の純粋な姿を写したものだとされました。この考えが「国民国家」思想と結びつき、民謡を基にした「ドイツ人」の創造が行われた時代でした。ワーグナーがゲルマン民族主義に傾倒したのは有名ですが、コミタスはドイツ留学中にワーグナーに熱中していたといいます。ドイツ留学によって西洋音楽とロマン主義の最前線に触れたコミタスは、帰国後に民謡収集活動を本格化させたのです。

アルメニアに帰ったコミタスは民謡を収集し、それを西洋風の歌曲や合唱曲に編曲しました。コミタスは合唱団を率いてパリやイスタンブル、カイロなどヨーロッパ、地中海各地で演奏会を開催し、自身の編曲した民謡を演奏しました。パリでの演奏を聴いたドビュッシーは、コミタスのことを絶賛したそうです。このように、アルメニア人が歌う唄を「民謡」として書き止め、それを西洋音楽の技法を用いてアレンジし、西洋に「アルメニア人の音楽」として伝えたことがコミタスの功績の中心を成しています。

2.虐殺の象徴として

言ってしまえばただの人々の歌を、「アルメニア人の歌」として切り取ることで「アルメニア人」に輪郭を与えた、コミタスがアルメニア人の音楽家のなかでも別格の扱いを受けているのはこのためでしょう。しかし、コミタスはアルメニアの音楽、文化といったアイデンティティにだけ結びつくのではありません。第3回のコラムで取り上げた、現代のアルメニア人アイデンティティにおいて大きなウェイトを占めるアルメニア人虐殺と密接なつながりを持っているのです。

コミタスは1910年ごろからイスタンブルを拠点に活動していました。1915年の4月24日、イスタンブルに住むアルメニア人の知識人が一斉に逮捕、連行されますが、コミタスもこのとき当局に身柄を確保されました。この騒動によって、コミタスが収集していた民謡の大半が失われたといいます。かろうじて一命を取り留めたコミタスでしたが、この時の体験によって精神を病んでしまいます。その後療養生活を送りますが、回復することなく1935年にパリで亡くなりました。

コミタスが民謡収集を行っていたのは虐殺以前のため、彼が収集した民謡の中に虐殺を直接歌うものはありません。しかし、民謡の中には虐殺の記憶に読み替えられるものも存在します。コミタスは「アントゥニ」(故郷を追われた人)というタイトルの民謡を残しています。第2回の歴史のコラムでも紹介したように、アルメニア人は周辺の勢力につねに脅かされ、故郷を追われるということが歴史上何度も起こってきました。「アントゥニ」で歌われる内容はアルメニア人虐殺以前の話だとは思われますが、「故郷を追われる」というのはアルメニア人にとってもはや普遍的なテーマだといえるでしょう。

私たちのメロディーの特徴は、確かに悲しみに苦しむものである。しかし、希望が無いわけではない。活力と元気があり、そのなかには力と生命力がある。私たちの歌は政治的な状況のせいで適切に発展するできてこなかった。というのも、この土地は大昔から戦場であり、近くや遠くのネイションから荒らされてきたからだ。

Komitas. Essays and Articles. trans. by Vatsche Barsoumian, Pasadena, Drazark Press, 2001, p68.

また、引き離された恋人に対する想いを歌ったDle Yamanという歌があります。ここで歌われる主題は、虐殺による故郷の喪失と民族離散と容易に結び付けることが可能です。この楽曲は、2020年に日本でも公開されたハチャトゥリアンを描いた映画『剣の舞』でも印象的に用いられています。

このように、虐殺を経験し失意のうちに亡くなったコミタスの伝記と彼が残した音楽が相乗効果を生むことで、コミタスはアルメニア人の象徴ともいえる存在となっているのです。

3.現代を生きるコミタス

ここまででコミタスがアルメニア音楽、アルメニア文化においてどのような存在かは伝わったでしょうか。2019年にはコミタス生誕150周年を迎え、この年はアルメニア内外でメモリアルイベントが多数行われていました。筆者がアルメニアを訪れたのは2019年の3月ですが、コミタス関連の演奏会が何度もありスケジュール調整に難儀したことを覚えています。2週間ほどの滞在の中で《アルメニアン・ダンス》パート1の元ネタ5曲の内、最後の「行け、行け」を除く4曲を聴くことができました。

2019年10月にはドイツでコミタス学会が開催され、こちらにも顔を出すことができました。自分が留学したドイツの地で自身に関する活発な議論が交わされるなんて、100年以上前にドイツに留学中だった当時のコミタスは想像もしなかっただろうなあなんて思いました。

今回ギャンビットで演奏する《アルメニアン・ダンス》や「コミタスに捧ぐ」のように、コミタスが残した民謡や旋律はアルメニア音楽の最も基本的なリファレンスとなっています。現代ジャズで最も注目されているピアニストの一人であるティグラン・ハマシアンも、コミタスの旋律に魅せられているミュージシャンです。コミタスの民謡が持つシンプルな旋律を、自身の現代ジャズのテクニックと融合させて唯一無二の存在感を放っています。

第2回のコラムでは、2020年の第二次ナゴルノ・カラバフ紛争について言及しました。このとき、砲撃によって破壊された教会でチェロを演奏する動画がインターネット上に公開されました。

アルメニア人のチェリストであるセヴァク・アヴァネシアンが演奏するこの曲は、コミタスが残した民謡の中の一つ、《鶴》という歌です。廃墟となった教会に響く儚げな旋律は、平和への祈りを訴えかけます。ちなみにこの《鶴》は交響曲第3番「コミタスに捧ぐ」の第三楽章でも同様に祈りのテーマとして使われています。

一週間後に迫ったギャンビットの定期演奏会では、コミタスの旋律をリードが巧みに昇華させた《アルメニアン・ダンス》パート1と、「コミタスに捧ぐ」という縦糸と民謡の旋律という横糸を縒り合わせた巨大なタペストリーである交響曲第3番「コミタスに捧ぐ」の二曲を演奏します。これまでのコラムでは、アルメニアの概要、歴史、虐殺、民族離散を扱ってきましたが、コミタスはそのどれとも結びつく人物です。これまでのコラムが今回演奏する2曲を聴く際の道標となれば幸いです。

全5回にわたるこのコラムもいよいよ終わりに近づいてきました。最後に個人的に好きな動画をシェアして終わろうと思います。

《アルメニアン・ダンス》パート1の2曲目、そして交響曲第3番「コミタスに捧ぐ」で重要な役割を果たす民謡《やまうずら》を幼い女の子が歌っている動画です。この民謡の旋律はコミタスのオリジナルで、子どもが歌うために創られたものです。子どもという未来への希望を、《やまうずら》を歌う無垢な姿を、これからも守り育めるような平和な世界を作っていきたい。私はそう切に願っています。

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アルメニアン・コラム(全5回)

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