King's Gambit Wind Orchestra

進化と挑戦を続ける吹奏楽団

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アルメニアン・コラム パートⅢ

      2022/05/05

第3回:1915-2015

文:木村 颯 《当団トロンボーン奏者》

目次

1.P.L.U.C.K.
2.「否定しないで」
3.デリゾール

King’s Gambit Wind Orchestra第8回定期演奏会に向けた特別企画としてお送りしているこのコラム、第2回はアルメニアの歴史についてお送りしました。世界で初めてキリスト教を国教に定めたアルメニア人は、イスラムが台頭した後も時にはその脅威にさらされ、また時には「啓典の民」としてムスリムと共存してきました。

今回のコラムでは、その共存を決定的に終わらせることとなった第一次世界大戦下のアルメニア人虐殺を扱う予定でした。しかし、現在進行形で「ジェノサイド」とも呼べる悲惨な事態が起こり、また非常にポリティカルな用語として「ジェノサイド」が飛び交う現状に筆者は少々気が滅入ってしまいました。そこで今回は予定を変更し、1915年からはじまるアルメニア人虐殺の100年後である2015年に、アルメニア人が虐殺をテーマに歌った音楽をいくつか紹介したいと思います。虐殺に関する歴史的な経緯は末尾に挙げる参考文献をご覧いただければと思います。

1.P.L.U.C.K.

Politically Lying, Unholy, Cowardly Killers「政治的に嘘つきで、邪悪で、卑怯な殺人者たち」の頭文字を取った “P.L.U.C.K.” は、アルメニア人4人組のバンドであるシステム・オブ・ア・ダウンのファーストアルバム『システム・オブ・ア・ダウン』に収録されている楽曲です。

システム・オブ・ア・ダウンはサージ・タンキアン(ヴォーカル、キーボード)、ダロン・マラキアン(ギター・ヴォーカル)、シャヴォ・オダジアン(ベース)、ジョン・ドルマヤン(ドラムス)の4人から成るロック・バンドです。アルメニア人ディアスポラの4人がロサンゼルスで集結し、1995年に結成されました。ビースティ・ボーイズやパブリック・エナミーを手掛けた敏腕プロデューサー、リック・ルービンに見出され、1998年にメジャーデビュー。2006年には “B.Y.O.B”(Bring Your Own Bombs)でグラミー賞を受賞するなど、アメリカのロックシーンの最前線で活躍してきました。

アルメニア人のミュージシャンの中で最も成功したグループだといえる彼らですが、デビュー以来アルメニアでのライブは行ってきませんでした。しかし、虐殺から100年後の2015年に、ツアーの一環でついにアルメニア公演を行いました。ツアーのタイトルは「ウェイク・アップ・ザ・ソウル」。アルメニア人虐殺から100年ということで、アルメニア人を含む世界中の「ジェノサイド」を広く認知してもらうことを目的としたツアーでした。アルメニアの首都エレヴァンの共和国広場で行われたライブには、アルメニア人を代表するこのバンドを一目見ようと多くの人が押しかけました。

冒頭の“P.L.U.C.K.”もこのライブで披露されました。タイトルがあらわす「政治的に嘘つきで、邪悪で、卑怯な殺人者たち」というのはアルメニア人虐殺を引き起こしたトルコのことだと考えられます。押し殺した「抹殺」(elimination)から一転し、「死」(Die)、「なぜ」(Why)と 韻を踏んだシャウトが印象的なイントロから曲は始まります。

「全民族大虐殺 おれたちのプライドはすべてもっていかれた」「革命のみが唯一の解決策」というリリックは、アルメニア人虐殺が彼らのアルメニア人としてのアイデンティティに深く関わっていることを明らかにします。彼らは「認知、回復、賠償」(Recognition, Restoration, Reparation)を繰り返し訴えます。そして「その計画は達成されジェノサイドと呼ばれた」とアルメニア人虐殺が「ジェノサイド」であると強調するのです。

「ウェイク・アップ・ザ・ソウル」ツアーでは、 “P.L.U.C.K.”の演奏前にアニメーションが挿入されました。アニメの冒頭では、ヒトラーが1939年のポーランド侵攻の際に発言したといわれる次の一節「結局のところ、今日誰がアルメニア人の絶滅について言及しているのか」が引用されます。ホロコーストは第二次世界大戦最大の戦争犯罪として裁かれ、ホロコーストを受けて「ジェノサイド」という言葉も作られました。世界中の人はこの痛ましい出来事を記憶しているはずです。にもかかわらず、それ以降もジェノサイドは世界中で起こり続けています。ナレーションはカンボジア、東ティモール、ルワンダ、ダルフールなど戦後起こった主要なジェノサイドを列挙します。

システム・オブ・ア・ダウンは結局のところ、この「ウェイク・アップ・ザ・ソウル」ツアーにおいてアルメニア人虐殺を含む過去のジェノサイドを現在の我々に認知、周知させ、これから先このような「民族」やある特定の対象を標的にした無差別な虐殺であるジェノサイドを引き起こさないように観客に訴えたのです。

2.「否定しないで」

人生は不公平だと何度も感じてきた
そのすべての絶望から逃れ忘れるつもりなのか
もしそれがあなたを壊し続けるなら、心の内の力を思い出せ
あなたが否定してきたすべての影に向き合え

ーGenealogy, “Face the Shadow” より

ヨーロッパで年に一度開催されている歌の祭典、ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト。平たく言うとヨーロッパのポピュラーソング国別対抗戦です。国ごとに選ばれた代表がパフォーマンスを披露し、その模様はテレビとネットで中継されます。およそ二億人が番組を視聴し、視聴者と審査員による投票で順位が決定します。60年以上の歴史を持つこのコンテストに、アルメニアは2006年から参加しています。

上で引用した詞は、2015年にアルメニア代表として出場したグループ、ジェネアロジー(血統)の “Face the Shadow”「影と向き合え」という楽曲の一部です。ジェネアロジーというグループは、この年のコンテストのために結成されたグループです。このグループの最大の特徴は、世界中に散らばったアルメニア人の末裔によって構成されていることです。アルメニア系の血とともに、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニア、アメリカ、アジアといういわゆる「五大陸」をそれぞれルーツに持つ5人のメンバーと、生まれも育ちもアルメニアの1人の計6人から成っています。

Genealogy のメンバー。eurovision.tvより

このメンバー構成は、アルメニア人が世界中に広がっていることを表すとともに、彼らが故郷を追われる原因となったオスマン帝国によるアルメニア人虐殺を想起させます。虐殺から100年という節目の年に、アルメニア人の離散と連帯を象徴するグループがユーロヴィジョンという国際的な舞台でパフォーマンスを行ったのです。そこに込められた意味は、明らかに「ジェノサイド」を国際社会に周知されることに他なりません。

さて、彼らが歌った「影と向き合え」ですが、実は当初は違うタイトルが想定されていたといわれています。元々のタイトルは “Don’t Deny”「否定しないで」でした。いったい何を「否定しない」のかというと、もうお気づきだと思いますがオスマン帝国によるアルメニア人虐殺です。現在もトルコ政府は虐殺があったという事実を認めてはいません。トルコ政府側の主張は、確かに死傷者は出たものの、それは戦時下の混乱と治安維持活動によるものであり、アルメニア人の抹殺を目的としたものではない、といったものです。

「否定しないで」というオリジナルのタイトルはさすがに直接的過ぎたのか、のちに「影に向き合え」というタイトルに変更されましたが、ここでいう「影」とはアルメニア人虐殺のことだと解釈するのが妥当でしょう。タイトルは変更されましたが、実際の曲中には何度も「否定しないで」という歌詞が登場します。アルメニアは虐殺から100年のこの年に、ジェネアロジーという象徴的なグループに「否定しないで」と歌わせることで、トルコや国際社会に「ジェノサイド」の認知を要求したのです。

3.デリゾール

シルショという女性歌手は、前述のユーロヴィジョン・ソング・コンテストの2008年代表に選ばれて以来、民族的な主題の楽曲を多く歌うようになっています。2012年には、コミタスの民謡をモチーフにした「プレゴメシュ」というシングルがヒットします(ここで使われている民謡は「アルメニアン・ダンス パーツⅡ 3.ロリの歌」で使われている民謡です)。

2016年には民族主義的な路線の集大成ともいえるアルバム『アルマト』をリリースしました。「アルマト」とは、「起源」や「ルーツ」という意味を表します。シルショはアルバム内のさまざまな歌でアルメニア人のルーツを探求するのですが、その中の一曲が「デリゾール」です。

デリゾールは、シリア北東部のユーフラテス川沿いにある都市の名前です。アルメニア人虐殺の際にアナトリアから追放されたアルメニア人の中には、このデリゾールを目指して中東の砂漠をひたすら歩いて移動させられた人も多くいました。その苛酷な環境に耐えられず、道中や到着後に多くのアルメニア人が命を落としたといわれています。

シルショはアルメニア人虐殺とデリゾールで失われた命に想いを馳せ、次のように歌います。

私にはデリゾールの砂漠で失われた同胞の心音が聴こえる

父は私たちに教えてくれた。母は私に歌いながら言った。おじいちゃんが私の過去と故郷とアルメニア語の名前を忘れないように言ったことを

この曲のミュージックビデオは、大きく二箇所でロケが行われています。まず登場するのが、ロサンゼルスにあるアルメニア系の学校です。アメリカに移り住んだアルメニア人の子供や孫である子どもたちが楽しそうに遊ぶ姿は、アルメニア人の未来を象徴するかのようです。もう一つのロケ地はトルコのアニという場所です。アルメニアとの国境沿いにある場所は、かつてアルメニア人の都市として栄えていました。現在はトルコ領となっているため、アルメニア人であるシルショにとってアニにある大聖堂でロケを行うには多くのハードルがあったと思われます。

虐殺で失われた命を鎮魂するとともに、虐殺というつらい記憶を背負って生きるアルメニア人という自身のアイデンティティを再確認する楽曲となっています。

ここまで、虐殺に関連する3つの楽曲を紹介してきました。特に2015年前後は虐殺から100年という節目でもあったので、アルメニアにおいて虐殺に関連する歌は数多く聴かれました。言葉や宗教などアルメニア人のアイデンティティを構成する要素は多々ありますが、現在その最も中心となっているのは「ジェノサイドの記憶を共有していること」だといえるのではないでしょうか。

さて、第3回はここまで。次回の第4回では、虐殺を逃れ世界中に散ったアルメニア人、いわゆるアルメニア人ディアスポラと彼らがつむいできた文化についてお送りします。つづく。

参考文献
松村高夫, 矢野久編『大量虐殺の社会史』ミネルヴァ書房, 2007年。
吉村貴之『アルメニア近現代史:民族自決の果てに』東洋書店, 2009年。
佐原徹哉『中東民族問題の起源:オスマン帝国とアルメニア人』白水社, 2014年。

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