King's Gambit Wind Orchestra

進化と挑戦を続ける吹奏楽団

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吹奏楽のための交響曲「ワインダーク・シー」 / J.マッキー

   

文:伊藤 彰悟(当団クラリネット奏者)

ギリシャ神話と芸術は、切っても切れないほどに密接な関係にある。多くの神々が人間のように振る舞い、喜怒哀楽を持ち、火曜サスペンス劇場よろしく愛憎劇を繰りひろげたり、人間との禁断の恋をしてみたり・・・。そのような物語群であるギリシャ神話は、当時の哲学や思想、世界観が大きく反映されており、多方面に大きな影響を与えてきた。人を引き付ける不思議な魅力は、いつの時代も人の創作意欲にすら火をつけてきた。例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチやギュスターヴ・モローなどを代表とする有名な画家たちはギリシャ神話を題材に絵をかき、それは現代の日本においてもたまに作品展が開かれるほどの傑作が生みだされている。これは音楽史、そして近年急速に文化として成長し続けている「吹奏楽」においても例外ではない。ギリシャ神話を題材とした吹奏楽作品には、豊穣と葡萄酒と酩酊の神、ディオニソスを描いた「ディオニソスの祭」(F.シュミット)や、「ウインドオーケストラのためのディテュランボス」(高昌帥)。中高生に絶大な人気を誇る樽屋雅徳氏も「ヘスペリデスの黄金のリンゴ」という曲を書いているし、昨年度(2018年度)の全日本吹奏楽コンクール課題曲5番「エレウシスの祭儀」(咲間貴裕)もそうである。その他多くの作品があるが、例にもれず今回演奏する「ワインダーク・シー」もこの「ギリシャ神話」を題材にした曲である。

本曲は古代ギリシャ文学の一つである、ギリシャの英雄オデュッセウスを主人公とした、詩人ホメロス作の英雄叙事詩「オデュッセイア」(日本語に訳するならば、オデュッセウス冒険譚)のストーリーに基づく標題交響曲である。本詩はトロイア(という国)で行われた、トロイア軍VSギリシャ軍の10年間にもわたる熾烈な戦争、トロイア戦争にてギリシャ軍が勝利を収めた後から始まる。本物語の主人公オデュッセウスはギリシャ軍の知将であり、10年間武力が均衡したこの戦争において、人間を隠しいれた木馬を使って敵(トロイア)の本拠地に乗り込み、内側から奇襲をかけることで一気に勝利を得た、かの有名な「トロイの木馬」作戦を提案・実行した英雄である。本詩は全部で24歌(24章)から成り、オデュッセウスが戦争後の帰路で、神の思し召しのままに海を10年以上も彷徨うパートと、故郷であるイタケに帰国し、家庭を守るため奮闘するパートに分けられる。本曲では前者を舞台に作曲されており、本解説でもこちらを取り扱うこととする。

まず初めに、本曲の題名について説明しよう。「ワインダーク・シー」とは、詩中で「海」を示す際に何度も出てくる表現であり、日本訳では「葡萄酒色の海」となっている。前述したように、本詩のオデュッセウスの海での冒険譚を題材としたためにこのようなタイトルになった訳だが、これを読んでいる皆さんの「いや、海の色はワイン色ではないでしょ。」という冷静な声が聞こえてくる。確かに海の絵をワイン色で塗る人はかなり稀だし、海の家で売っているブルーハワイ味かき氷には水色のシロップがかかっている。夕暮れ時の海はワインというよりはカシスオレンジである。このままでは「カシスオレンジ・シー」に改名を迫りたくなる読者が湧いてきそうだが、この「葡萄酒色の海」と詩人ホメロスが表現した理由については、学者たちが多くの仮説を唱えている。以下にいくつか紹介したい。

・古代ギリシャ人、そもそも色をとらえられていなかった説

詩人ホメロスは他に「ワイン色の羊」「緑色の蜂蜜」といった表現をしていたりする。

・地下水とワインとの化学反応により葡萄酒色=青色だった説

古代ギリシャではワインを水で薄めて飲む習慣があった。地質学的に、当時の地下水はアルカリ性であり、それで赤ワインを割ると、ワインの中に含まれるアントシアニンという成分と地下水が化学反応を起こし、青色のワインになる。

・古代ギリシャ人の色の感覚、現代人と全然違った説

「色」において重視していたものが、現代のように色相(青、緑、赤…)ではなく、明度(明るい、暗い)や、彩度(鮮やかさ)が重視された。つまり、「葡萄酒色の海」は、赤色の海を意味するのではなく、「ワインぐらい薄暗い海」を表現している。

真意はタイムマシンに乗り込み詩人ホメロス本人と話してみないと分かりそうにはないが、とにかく、本作品はこの「ワインダーク・シー」を旅する英雄オデュッセウスの姿が描かれてゆく。

次に、本曲の作曲経緯について説明する。本作品は2014年に、テキサス大学音楽部の100周年を記念し、同大学ウインドオーケストラの委嘱を受けて作曲された。その際の依頼内容として、30分程度の曲、という文言があった。しかし、これは作曲者であるマッキー氏にとって経験のない大曲依頼であり、途方に暮れていたそうだ。そこで彼の妻、アビー(Abby Jacques)氏に相談する。彼女は世界的有名大学であるマサチューセッツ工科大学にて哲学科講師であり、マッキー氏の作曲活動において欠かせない人だそうだ。驚きなのは殆どの曲のタイトルは彼女が考えていることである。妻のアビー氏に相談したところ、彼女はオデュッセイアのストーリーに沿って作曲をすることを提案する。ただ、原典版そのままでは長すぎる・難解な点も残るため、彼女がストーリーを抜粋・再構成したものに曲をつけるというスタイルを取ったそうだ。そのため、本曲におけるストーリーは原典版と比べて時系列が前後、或いはアビー氏による解釈・脚色がやや反映されている。


 

それでは、ストーリーの解説をしよう。図1にオデュッセウスの航海帰路を書いた地図を示す。

図1. オデュッセウス航海MAP

第Ⅰ楽章 Hubris –傲慢–

オデュッセウスの「トロイの木馬」作戦によりトロイア戦争にて勝利を収めたギリシャ軍。勝利に酔いしれ、大量の戦利品を船に詰め、故郷であるイタケへの帰路につくオデュッセウス一行。しかし、「勝利」は厄介な戦利品を彼らに与えた。それは「うぬぼれた自尊心」であった。トロイアを出て、彼らはイスマロスという町の港に停泊する。そこは敵国であり敗戦国であるトロイア領であり、彼らは侵略行為を行う。強奪、強姦、殺人・・・。勝利に酔いしれ、理性を失っていた彼らはあまりにも惨く、傲慢すぎる行動をとるのだった。しかし、このギリシャ神話の世界では、人間の行動は神々に監視されており、人間の運命は神々によって決定される。傲慢すぎる行動をした者たちには決まった結末が待っているのだ…。

色々な困難を超え、航海も終盤。故郷であるイタケもすぐそばだ、というところでオデュッセウス一行はトリーナキエ島に着く。この島は不吉だから近寄らないほうがいい、と預言者(Ⅲ楽章に出てくる)にも忠告されていたのだが、オデュッセウスの部下が「航海も長く、我々は疲弊しきっている。休憩くらいとらせてくれ。」と訴えたため、不本意ながら上陸する。その島は太陽神ヘリオスの島であり、神の家畜である牛が生息していた。オデュッセウスは部下に「牛に手を出すな」と忠告をするも、彼が眠っている間に飢えた部下が牛を食べてしまう。激怒したヘリオスはゼウスにそのことを伝えるのだった。

トリーナキエ島を後にし、再び故郷イタケを目指し航海を始めるも、ゼウスの怒りが彼らを裁く。海上で嵐を起こし、ゼウスの雷が彼らの船を打ち砕いた。オデュッセウス以外の部下はみな死に、彼自身は船の破片にしがみ付き何とか生きながらえる。そして、海がすべてを飲み込んだ―。

以上がⅠ楽章のストーリーである。構成上、途中で時系列をすっ飛ばすことに留意していただきたい。さて、本文の冒頭にて述べたが、本作品は当時のギリシャの思想を反映している。ここで大切なのは、古代ギリシャ人にとって「名誉を得ること」は抗いがたい魅力であったことだ。神々は永遠の命を持っているのに対し、人間には寿命がある。しかし、名声だけは永遠に残せることを、古代ギリシャ人は知っていた。そのため、オデュッセウス一行は戦争に勝利しただけでは飽き足らず、トロイア領を更に侵略、また旅の途中で巨人(サイクロプス)を撃退し「お前を倒したのはこのオデュッセウスだ!仲間に伝えろ!」とドヤ顔し、それが理由で神の怒りを買ったりする。そう、このオデュッセイアという物語は、「人間の欲深さはろくなことを招かない。」というメッセージ性が込められているのである。図1を見ても明らかだが、START地点のトロイアから、GOALのキルケまでの距離はかなり近い。この近い距離を、人間の傲慢さ・欲深さがゆえに招いた幾つかのトラブルにより、10年もの歳月をかけて帰ることとなる。

冒頭、ホルンを中心とした金管群により「オデュッセウスのテーマ」がファンファーレとなって演奏される。それは雄々しく勇ましいが、どこかグロテスクな響きである。その後、スネアドラムのリズムに乗り行進曲風の音楽になり、戦争の勝利の凱旋を思わせて曲は幕を開ける。変拍子を伴いアグレッシブに曲は展開され、曲のテンポも倍となり、略奪行為がエスカレートする光景が描かれる。再び冒頭のテンポに戻り、テーマが再現されると、静寂が訪れ、マリンバの刻みが支配する。ドラを弓で擦る奏法によって甲高い金属音が聞こえる。これは冥界の門の開く音-Ⅲ楽章にも出てくるが―をモチーフとしていると考えられ、オーシャンドラムによって薄暗い海のさざめきも聞こえてくる。これからオデュッセウス達を襲う悲劇、いや報いを暗示しているようで、死のにおいが立ち込めてくる。ファゴット、クラリネットのソロを経て、次第にオーケストラの音量は増していき、強烈な打ち込みが曲を支配してゆく。裁きの時間が訪れたのだ。雷を想起させる打ち込みがクライマックスを迎え、気が付くと海のさざめきだけが残る静寂となる。オデュッセウス一人を残し、すべてを飲み込んだ海。そこには重い空気が立ち込めており、次第にフェードアウトしてゆく。

 

第Ⅱ楽章 Immortal thread, so weak –儚き糸、脆き永遠–

美しく永遠の命を持つ水の精霊カリュプソは、彼女が一人で住む島、オーギュギア島の海岸に漂着した瀕死のオデュッセウスを発見する。人間の男を初めて見たということも相まって、カリュプソはオデュッセウスに一目惚れし、手厚い看護をし、服を織り、愛情を注ぐのだった。この島は想像を絶するほど美しい自然と、豊富な食べ物。更に女神と交わることはギリシャ男子にとって最上級の憧れであったため、オデュッセウスも満更ではなく、カリュプソを現地妻として、7年間の歳月を過ごしてしまう。彼女は愛を記録として残すため、機織り機を使ってタペストリーを編むことが日課となった。しかし、年月が経つにつれて、オデュッセウスは故郷に残した家族を思い出し、帰郷の思いが募ってくるも、この孤島から出るための船もなく、毎日海を見ては泣き続ける毎日を送った。ある日、そんなオデュッセウスの姿を見た神々は流石に憐れみを覚え、彼の帰郷を許し、行動に移す。「オデュッセウスを帰してあげなさい」と神の使いがカリュプソに伝えると、成就しない恋に深い悲しみにさいなまれながらも、カリュプソはそれに応じる。カリュプソはオデュッセウスに「永遠の命を授けるから、一緒にずっと暮らさないか」と提案するも、彼は自身の家族を選んだ。そうして数日。カリュプソはオデュッセウスの帰郷のために船を用意した。愛の記録のタペストリーをほどき、船の帆に作り替え、取り付ける。パンとワインを積み込み、彼の故郷イタケの方角に優しい風を起こして、彼を乗せた船を送り出す。海に出た彼は、もうこちらに振りかえることもしない。もう自分を、見てくれない。また、彼女は孤島で孤独になり、泣き崩れるのだった―。

以上がⅡ楽章のストーリーである。島の美しい風景(図2)や、オデュッセウス出航シーン(図3)の絵画を示しておく。

図2 オデュッセウスとカリュプソのいる幻想的な洞窟 / ヤン・ブリューゲル父

図3 オデュッセウスの船出 / サミュエル・パーマー

このカリュプソは、日本語では「隠す者」という意味であり、オデュッセウスの帰国を妨げた厄介者として描かれている印象を受けるのだが、マッキー夫妻はカリュプソ自身の視点に立ち、彼女の経験した大失恋を本楽章で描いている。また、本楽章の副題である「Immortal thread, so weak」について触れる。まず「Immortal」には①永遠の、②不死、という意味がある。そして「thread」には①糸、②人間の寿命という意味がある。つまり「Immortal thread」は「永遠に続く糸」と「永遠の命」の2通りに訳せる。「永遠に続く糸」とは、人間の関係性-ここではオデュッセウスとカリュプソ-を示し、それを愛の象徴のタペストリーが隠喩している。「永遠の命」とは不死のカリュプソを示す。そしてそれら二つは「so, weak-とても脆い」のだ。つまり、失恋してほどけてしまった愛の糸と、失恋の悲しみに心を砕かれた不死カリュプソの儚さを歌う楽章ということを副題で示していると私は解釈している。この世界では神々と人間の恋愛は基本成就しないことが多い。古代ギリシャの切ないコイバナである。

おそらくマッキー夫妻はこの楽章をかなり気に入っている様子で、当楽章単体で曲が成り立つように再構成しなおした「This Cruel Moon(この残酷な月)」(2017)や、ソプラノをソリストとし、Ⅲ楽章構成とし、より深くカリュプソの物語を描いた「Songs from the End of the World(この世の果てからの曲)」(2015)が別途作曲されている。特に後者の曲は歌詞がつけられ、「Songs from the End of the World」Ⅲ楽章が、「ワインダーク・シー」のⅡ楽章と同じ曲となっているため、マッキー夫妻の描いた世界観がより深まるので、ぜひ聞いてみてほしい。

ハープとヴィブラフォン、ピアノによる美しく、静かな和音が、夜の島の岸辺を想起させるように始まる。別れを告げられたカリュプソの切なく、まだやりきれない気持ちをソロクラリネットが歌い始め、曲は進行してゆく。各楽器のソロが重なりつつも不安定な響きを奏でる様子は、カリュプソの心情を表すかのよう。「彼のことは忘れ、故郷に向けて送り出さなければならない。」「いや、忘れられるわけがない。一緒にいたい。」

曲は後半に進むにつれ不安感を増し、いくつかの頂点を迎え、深い悲しみを超えてゆく。曲の終盤には、寂しさを噛みしめながらも、オデュッセウスの航海のために風を吹かせ見守る様子が、優しい和音に表れている。しかし、結局は悲しみに耐えきれず泣き崩れる様子が、ソロクラリネットの悲哀に満ちた叫びともとれるクレッシェンドに表され、楽章を終える。

第Ⅲ楽章 The attentions of souls –魂の叫び–

トロイア国を出て故郷イタケを目指し帰路に就くも、オデュッセウスを含めた船員一同の欲が原因で巻き込まれた様々なトラブルによって、旅は長引いていた。そこでオデュッセウスは「冥界にて偉大なる予言者テイレシアスの亡霊に道を示してもらいなさい。」と助言をもらい、冥界を目指す。世界の端にあるその場所は、日が射すこともない暗闇。下船し、亡霊を呼び込む手順を踏むオデュッセウス。それは穴を掘り、酒などを入れ、願をかけ、羊の首を切り裂き、その血を注ぐことだった。すると、死者の魂がうじゃうじゃと這い出てきた。死者たちは血を求め、甘い言葉で彼に詰め寄る。それでも無駄とわかると、死者は彼を罵った。「もう生きて冥界から帰れないぞ。」なんとか予言者テイレシアスから助言を得たオデュッセウスは、冥界からの脱出を図る。周囲には金切り声を上げ押し寄せる亡霊の大群。苦難の果てに、彼は闇夜の中に一筋の光を見つけ、生還を果たす。

旅の途中で海を渡り、いわゆる「あの世」にまでお邪魔しにいくオデュッセウスだが、この部分は非常に重要な部分になっている。前述したが、ギリシャ男子の美徳は、永遠の命の代わりになるよう、「不朽の名声」を後世に残すことだった。オデュッセウスもそう信じて行動してきたし、そのため傲慢ともとられる侵略行為や、無謀とも思える挑戦をし、故郷への帰路はどんどん伸びてきた。しかし、冥界で見た光景とは、貧困層の霊から世界に名を轟かせた英雄の霊が、皆すべからく血に飢え、辺りをさまよう光景だった。オデュッセウスは、アガムメノン、アキレウス、ヘラクレスといった、不朽の名誉を残した伝説的英雄たちの亡霊と話をする。しかし、そんな英雄も「戦争で勝利を収めたのに、国へ帰ると妻が浮気をしていて、浮気相手に殺された」という話を聞かされる。そうしてオデュッセウスは、「永遠の名声では、満たされないのだ・・・」と悟る。そして、自身の母の亡霊とも出会う。戦争出発前には存命していた母が彷徨っている姿に深い悲しみに包まれたオデュッセウスが死因を尋ねると、彼の帰国の遅さに寂しさが募ったことが原因と言われる。彼は母を抱きしめようとするも、実体のない体ゆえに両腕は空を切るのみ。

この冥界でのエピソードは、「永遠の命や不朽の名声を追い求めるよりも、家族との日々の暮らしを大切にせよ。」というホメロスの教訓が感じられる。こうして、傲慢であったオデュッセウスは徐々に成長していくのであった。

Ⅲ楽章冒頭は、Ⅰ楽章後半でも出てきたが、ドラを用いた特殊奏法により、冥府の門が金属音を立てて開く様子が描かれ、そこからは死の瘴気があふれ出している。そうして不安定な音楽が進行し、オーケストラ全体が和音を奏で、一瞬静寂が訪れる。これは亡霊に捧げる供物の喉をかき切った衝撃的シーンを描いている。そして鍵盤楽器、ピアノによるオスティナート的伴奏が始まり、クラリネットのソロが動機となり、各楽器がテーマを受け継いで進行する様子は、彼の前に様々な亡霊が現れ、語り掛ける様子を描いている。次第にテーマ、次いで全体の音楽は荒々しくなり、大量に湧き出てくる亡者を描く木管の半音階が全体をむしばみ始める。その時、Ⅰ楽章冒頭で提示された「英雄オデュッセウスのテーマ」が金管楽器群によって高らかに演奏され、オデュッセイアは亡者をかき分けるがごとく怒涛に進行し、バンド全体が最後はFの和音に集結することで、外の世界の一筋の光を見つけ生還を果たす様子が描かれ、幕を閉じる。

 

以上で本曲の解説を終える。詳しいオデュッセイアのあらすじは各自で原著を読んでいただきたい。無宗教大国である日本国民の我々にすらも、「悪いことをしたら罰が当たる」「お天道様が見ている」という考えが根付いている。今回の定期演奏会が成功するか否か?それは練習で真摯に取り組んでいる様子を神々が監視し、会議によって決めるのだろう。本演奏会に対して神が下した結論は何だったのか?その答えは、ぜひ会場に足を運んで確かめていただきたい。


ジョン・マッキー(John Machey)

1973年にアメリカのオハイオ州ニューフィラデルフィア生まれの作曲家である。音楽家の両親の間に生まれたマッキー氏であるが、息子に音楽教育をさせることはなく、その代わりにマッキー氏は祖父から楽譜の読み方やコンピューターによる楽譜作成を教わった。そのため、幼少期は音楽の正式な教育を受けておらず、「教育」よりも「楽しむこと」を体験した彼は、自分自身の音楽を描く様になったそうである。その後、クリーヴランド音楽大学に入学、1995年に学士号を取得後、ジュリアード音楽院で1997年に修士号を取得した。作品としては、当団では《アスファルト・カクテル》、《サスパリラ》に取り組ませていただいた。他の代表作品には、オストウォルド賞を受賞した《レッドライン・タンゴ》、《オーロラの目覚め》や、日本の音大である洗足学園音楽大学への委嘱曲《ナイト・ガーデン》などが挙げられ、本能を揺さぶるアツいグルーブが人々の心をつかんで離さない、新進気鋭の作曲家である。

 

〇参考文献

・ホメロス(訳:松平千秋);オデュッセイア,岩波文庫

・E.Hoffman; The Wine-Dark Sea: Color and Perception in the Ancient World, http://clarkesworldmagazine.com/hoffman_01_13/

・1話5分で読めるギリシャ神話 : http://greek-myth.info/

・BS朝日; BBC地球伝説 ギリシャ神話の英雄たち オデュッセイア~愛と冒険の物語~, 2011.08放送

 

 - 7th定期演奏会, Program