King's Gambit Wind Orchestra

進化と挑戦を続ける吹奏楽団

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第8回 ユアコンサート

      2022/03/28

第8回ユアコンサートで扱う曲をご紹介します。


第1部

ジャパニーズグラフィティ XIX ”ザ・ドリフターズメドレー”

第8回ユアコンサーのオープニングは、昭和のお茶の間の人気者”ザ・ドリフターズ”のメドレーをお送りする。伝説のお化け番組「8時だョ!全員集合」のオープニングから始まり、《ドリフの早口言葉》、《ドリフのズンドコ節》、《ほんとにほんとにご苦労さん》、コントの舞台展開時に流れる《盆回り》、ヒゲダンスでおなじみ《ヒゲのテーマ》、志村けんが歌ったことで人気を博した《東村山音頭》、最後はもちろん《いい湯だな》。

ドリフの楽曲は、当時の方々にとって耳馴染みのある音楽(民謡や軍歌などが多い)をもとにアレンジしたものが多く、現代の我々にも一度聴くと印象に残るのも頷ける。

昨年、新型コロナウイルス感染により、志村けんさんが亡くなったことは日本中に衝撃を与えた。しかし、しんみりするのではなく、このメドレーを奏者のみならずお客様と一緒に楽しむことが何よりも志村けんさんへの弔いだと信じてやまない。客席のお客様には是非大いに楽しんで盛り上がっていただければ幸いである。

Pretender

この曲は、2019年に発売されたOfficial髭男dismの2作目のシングルであり、映画「コンフィデンスマンJP-ロマンス編-」の主題歌でもある。この曲は彼らの代表曲の1つであり、某動画配信サイトではPVが3.4億回も再生されていることから、一世を風靡した曲と言えるだろう。

タイトルである「Pretender」は、「pretend (~のふりをする)+ ~er」つまり、「~のふりをする人」という意味だ。(インターネットで調べてみると、「グッバイロマンス」という仮タイトルがあったようだが)

では、“Pretender”とはどういう曲なのだろうか?歌詞を紐解くと、それは淡く切ない恋愛がモチーフとなっているのだとわかる。「僕」の視点でこの曲は描かれており、「君」は僕の恋人のふりをする人なのでは?と悟ることによる失望、でも未練があるから「もっと違う設定で、違う関係だったらよかったのに」と悩み、「グッバイ」と君に別れを告げる決意をするも、「それじゃ僕にとって君は何?」と自問自答をして悶々とすることもある。それでも「君は奇麗だ」という紛れもない事実に僕は君が大好きであることを自覚し、それを受け入れ、最後には「別れもロマンスの定めなら悪くないよな」と心が整理されて次に向かって気持ちが切り替わるといった、「僕」の心の動きの一連を表した歌詞となっている。その物悲しい哀愁漂うラストは、ピアノで見事に締めくくられており、誰もが名曲であると表現するにふさわしいと考える。

そんな人の心をつかんで離さない“Pretender”を、King’s Gambit特別Versionに少しアレンジしたので、どうぞ心静かにじっくりとお聴きください。

「ノートルダムの鐘」より

この曲は、ヴィクトル・ユゴーの代表作「Notre-Dame de Paris(ノートルダム・ド・パリ)」をもとにディズニーによって映画化、舞台化された『ノートルダムの鐘』から、巨匠A.メンケンの楽曲をお届けするメドレーである。

舞台は15世紀のパリ。街の中心に存在するノートルダム大聖堂の鐘突き塔には、カジモドという名の鐘突きが住んでいた。幼き時に聖堂の聖職者フロローに引き取られた彼は、その醜い容貌から、この塔に閉じ込められ友人は三人組の石像(ガーゴイル)と鐘だけ、外の世界と隔離されていた。

ジプシーの美しい踊り子エスメラルダ、エスメラルダに邪な好意を抱くフロロー、エスメラルダを愛しフロローの命に背く護衛隊のフィーバス隊長の4人をめぐる物語は、ある日、カジモドがフロローの言いつけを破り道化の祭りに参加し、エスメラルダに出会い、一目惚れしたことで動き始める。

エスメラルダが人々にいじめられるカジモドをかばったことに怒り、フロローはジプシー狩りを宣告する。フロローからの逃亡の中で、エスメラルダとフィーバスの恋を知るカジモド。それでも最後には逃亡の末捕まってしまったエスメラルダが、フロローによって大聖堂前で火あぶりにされようとしていたところにかけつけ、彼女を懸命に救い出す。

戦いと恋の結末については、ここでは控えるが、この曲の中に流れる熱い展開やどこか物悲しくくらい響きにご注目頂き楽しんでいただきたい。


第1部の後半は、京都市立芸術大学から、ソプラノに香坂 柚津希、テノールに向井 洋輔を迎えての、歌と吹奏楽で2曲をお届けする。

O sole mio

この曲はG.カプッロとE.カプアによって書かれたカンツォーネである。

“カンツォーネ canzone”とはイタリア語で「歌」という意味であるが日本では「民謡」というイメージが強く、特にイタリアのナポリ地方の民謡のことをこのように呼ぶ。

中学校音楽の教科書にも「サンタ・ルチア」「帰れソレントへ」などと並んで掲載されるほど馴染み深い楽曲である。

“O sole mio”とは「私の太陽よ!」という意味であり、輝く太陽と愛する人を重ね合わせた何ともイタリアらしい情熱的な歌詞である。さらに、歌詞にはナポリの方言が使われており、シンプルな歌詞はナポリという街が持つ飾らない美しさとその街への愛情を充分に表している。

オペラ座の怪人

A.L.ロイドウェバーの手がけたミュージカルの傑作を、J.デ=メイのアレンジでと歌でお届けする。

こちらも舞台はパリ。オペラ座の地下に住み着き暗躍する音楽の天才”怪人”と、”音楽の天使”の導きによってプリマドンナとなる若き歌姫・クリスティーヌをめぐる物語である。

誰もが一度は耳にしたことがあるメロディーは、時に優雅に、時にロックに聴衆の心をつかんで離さない。本日はソプラノとテノールによる歌付きでの特別バージョンでお届けする。


 第2部

第8回ユアコンサートの2部では2つのJ.デ=メイ作品を演奏する。

どちらも表題に”エクストリーム”と冠がついており、一体なんのことか、とお考えの方もおられるかと思い、簡単に2曲の共通点を解説してから、各々の中身を紹介することにする。

“エクストリーム・ベートーヴェン”、“エクストリーム・メイクオーヴァー”はどちらも『有名作曲家の音楽を複数引用し、1曲に仕立て上げた』いわばメドレーのようなものであり、前者はL.V.ベートーヴェン、後者はP.I.チャイコフスキーの一度は耳にしたことがある旋律を用いている。作曲された順としては”ベートーヴェン”の方が後になるが、どちらも単品作品では味わえない、独特の掛け合いや混ざり合いがクセになる名曲である。

エクストリーム・ベートーヴェン

この曲は、“世界音楽コンクール”2013年大会の課題曲にもなっており、ベートーヴェンの曲が数多く引用された、どこに何が隠れているかを探すのも非常に楽しい1曲となっている。引用曲全ての登場箇所を記すことは出来ないが、皆様が聞く上で道標となる部分のみ記したいと思う。

曲の冒頭は《ピアノ協奏曲第5番「皇帝」第2楽章》より穏やかに始まる。休日の午後にピッタリな上品な木管アンサンブルを楽しんでいただきたい。穏やかな気持ちになったのも束の間、《交響曲第9番第1楽章》へと場面は移る。ここからあまりの曲調の激しさにお客様は戸惑うかもしれない。「私の知ってる第9と違う…」。ご存知だろうか?この曲は”エクストリーム”なのである。あの頃の優しかったベートーヴェンとは別人であることを覚悟して聞いていただきたい。さて、聴衆に衝撃を与えた後、曲は落ち着き3連符が特徴的な《ピアノソナタ第14番「月光」》が始まる。

《月光》に続くセクションは、ベートーヴェンの全9曲の交響曲などを散りばめながら進んでいき、まるでベートーヴェンの天才的な頭脳を垣間見ているような気分に浸ることができる。

そして、交響曲第7番2楽章で「ベートーヴェン良い…」となったあなた、面白い仕掛けがあるので舞台の端に耳を澄ませてほしい。(ネタバレになるのでこれ以上は控える。)

その後、曲は《エグモント序曲」終盤の主題がジャズ調に使用され雰囲気をガラリと変える。(Tubaソロが目印)。この後の注目ポイントはズバリ低音の打ち込み。ギャンビットが誇るブラジルの人にも聞こえそうな地響きを体で感じていただきたい。

その後、感動のフィナーレとして再び《「皇帝」第2楽章》の主題が壮大に用いられ、盛り上がりが最高潮に達した後、疾走感あふれる《交響曲第7番第4楽章》に曲は移り変わる。最後はお馴染みの《第9第4楽章》により、曲は華やかにその幕を閉じる。実に感動的。私の知ってるベートーヴェンはどこに行っちゃったの?とか色々あったが終わり良ければ全て良しである。

作曲者はこう述べている。

「音楽学者や純粋主義者からすると、聴くに堪えないものであるかもしれないが、この曲は偉大な作曲者であるベートーヴェンへの惜しみない称賛と敬意の現れであり、ひとつの頌歌である。」

物は言いようである。

エクストリーム・メイクオーヴァー

当団では第3回定期演奏会以来の2回目の演奏となる。曲名は直訳すると「思い切った改造」となり、いくつかのチャイコフスキーの曲の主題モチーフを用いながら、5つのセクションを通じて、大胆に変奏させ、全く新しい音楽を作り出している。

1つ目のセクションで使われるのは、作品全体を通して現れる《弦楽四重奏曲第1番より第2楽章アンダンテ・カンタービレ》である。冒頭のサックス四重奏の後、ダブルリードが加わり、音楽は次第に開かれていく。

2つ目のセクションは、《アンダンテ・カンタービレ》の始めに現れる3つの音程をモチーフとして、各楽器が一音ずつ鳴らすベルトーンに仕立てて構成されている。モチーフは徐々に音を増やして変化していく小変奏となっており、終盤のセクションで用いられる音型の先取りになっている。

スネアドラムに導かれて始まる第3のセクションでは、3つの曲が用いられている。初めにファゴットによって奏されるモチーフは《交響曲第6番「悲愴」第1楽章》からの引用。トロンボーンが後に続き、全員で行進曲風の山場を1つ作った後、《幻想序曲「ロミオとジュリエット」》が出てくる。緊迫感を増しながら音楽は進み、頂点に達すると、雪崩のような下降音形によってエネルギー溢れる展開となる。一転して上行した後、再び悲愴の主題となり第3セクションのフィナーレを飾る。途中からトランペットとホルンに出るファンファーレは《交響曲第4番》から取られたものである。

一度静まった後の4つ目のセクションは再び《アンダンテ・カンタービレ》の主題が演奏される。本来は、音程を指定された瓶を吹くことで奏される印象的なセクションなのだが、本演奏会では感染症対策の関係から管楽器での演奏とした。途中から技巧的なマリンバのソロとなり、シロフォン、管楽器が加わる。徐々に盛り上がりを見せ、5つ目のセクションに突入する。

第5セクションは《アンダンテ・カンタービレ》の変奏主題による木管低音群から始まるフーガである。フーガは第2セクションの後でティンパニによって示された変奏の発展形と、前のセクションでマリンバによって提示された3連符系の旋律を中心に展開し、この2つが非常に多くの声部で、ランダムに繰り返されることで、エネルギーを直接ぶつけられているかのような混沌が生み出される。

頂点に達した混沌を貫く金管のファンファーレとともに、最後のフィナーレへと向かっていく。締めくくりには《序曲「1812年」》が用いられ、華やかに幕を閉じる。

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