Sasparilla
Your Concert、耳なじみのよい第一部の最後に演奏する曲は、吹奏楽オリジナル作品!
もちろん、Your Concertのコンセプト、『あなたの演奏会』であることは忘れていませんよ。「こんな曲があるんだ」と聞きながら楽しくなっちゃうような曲『Sasparilla』は、第6回定期演奏会のオープニングを飾った『アスファルト・カクテル』でもおなじみ、吹奏楽界の風雲児・J.マッキーの作品。目が輝く、胸躍る、楽しい音楽がつめこまれたこの曲の解説は、今回も当団が誇るクラリネット奏者・伊藤による解説!
前回も好評だった個性的な解説で本番をお楽しみに!
Sasparilla 指揮:久保田 善則
文:伊藤 彰悟(当団クラリネット奏者)
皆さんはお酒が好きだろうか。一口飲むと喉を潤し、二口飲むと体温が上がり、三口飲むと嫌なことを忘れられ、四口飲むとみんな笑顔。それがお酒。ビバ!アルコール。花見酒、月見酒、紅葉酒、雪見酒など、日本人は古くからお酒を友とし、自然を愛でて生きてきた。祝いの席でも欠かせない存在であるし、日々の学校や社会の軋轢の中、ストレスに潰されてしまわないように生きていく道具としての役割も担っている。プロ野球団に至っては、優勝すればビールを掛け合うイベントが発生する。飲んですらない。しかし、これはお酒であるから成立するのであって、例えばオレンジジュースでは成立しえないイベントである。このように、お酒とは既に1つの飲み物であるというカテゴリーを大きく飛び出し、もはや人類の一つの文化として成立しているのである。
今回演奏する「サスパリラ」も、そのお酒と人間の歴史の一部を切り取った曲である。まず、「サスパリラ」とはお酒の名前なのだが、この文章を読んでいる人で「サスパリラ」を居酒屋・酒屋で見かけた、もしくは注文したことがある人は挙手していただきたい・・・はい。ありがとうございました。そう、恐らく皆初対面のお酒であるはずだ。もし、あるよ!という人がいたら、その人はよほどのお酒マニアか、この曲を知ってたうえで飲んだ人か、アメリカ人か、ひょんなことから西部開拓時代からタイムスリップしてきた人であると思う。特に最後の人は、非常に貴重な人間なので僕まで連絡するように。
サスパリラとは、正式名称は「サルサパリラ」であり、作曲者のジョン・マッキー氏を含めたアメリカ人には非常に親しみのある飲み物なのだが、このお酒の説明をするには、まずはアメリカという国の歴史について理解する必要がある。
さかのぼること、氷河期時代。ユーラシア大陸に住んでいたアジア系モンゴロイド(いわゆる黄色人種)は、シベリアから、当時凍結していたベーリング海を歩いてアラスカにわたり、アメリカ大陸へと散らばっていったと考えられている。そうして広大な土地に広がっていった人々は、それぞれの部族を作り、独自の文化を形成していった。そして長くの年月が経ち、14世紀末、ヨーロッパを中心に遠洋航海技術が発達し、大航海時代が幕を開けた。かの有名なクリストファー・コロンブスも、ありったけの夢をかき集め、探し物を探しに海へでていくのであった。インドにある金を求めて、スペインから大西洋を渡る(この時点でおかしい)コロンブスであったが、当然インドではなくアメリカ大陸(カリブ諸島)にたどり着いてしまった。しかし、コロンブスは「インドについたぞ!」と信じて疑わず、原住民族のことを「インディアン(インドの人々)」と呼んだ。この人がややこしさの原因を作りました。これがきっかけとなり、インディアンたちは18世紀末まで、西欧人による侵略と略奪を受け、奴隷として扱われ、アメリカ大陸は西欧人の植民地となる。更に時代は進み、アメリカ大陸を植民地としていたフランス・イギリスは領土を争って1754年に開戦し(フレンチ・インディアン戦争)、勝利したイギリスはアメリカ東部沿岸に13のイギリス領植民地を設けた。しかし、この戦争が終わってからの多額な税金などイギリス本国からの不当な扱いに、アメリカ本土に住む人々が大反発し、戦争を起こす。これが後のアメリカ独立戦争であり、当時世界最強だったイギリスに大勝利を決めたアメリカ本土の人々は、アメリカ独立宣言を発表し、ジョージ・ワシントンを大統領として、アメリカ合衆国を建国するのであった。
そしてまた年月が流れ、19世紀半ば。黒人奴隷州であるアメリカ南部との戦争、通称南北戦争に勝利をし、南北統一を果たしたアメリカ合衆国は、次に東西交通へと着手した。当時は馬車か船舶の移動しかなかったが、ロッキー山脈を越えなければならないし、西部にすむインディアンの襲撃を考えると非常にリスキーであった。そこで建設されたのが大陸横断鉄道である。これは、大西洋と太平洋を初めてつないだ鉄道であり、この開通をきっかけに、東西の物流・交流が活発になった。この時代は、西部開拓時代と呼ばれる。広大な西部では放牧が多く行われ、ナイフと銃を腰に挿し、ハットをかぶり鞭やロープを持って馬に乗り、牛を追う、カウボーイが登場し、この時代の象徴となっている。しかし、法秩序の確立がされていない西部では、ギャングにより治安が非常に悪く、ガンを片手に治安を保全する保安官が存在した。この、カウボーイや保安官、ギャング、未だ残るインディアンとの闘いの日々を描いたお話が西部劇であり、当曲の舞台となっている。
ここまではアメリカが西部開拓時代へ行きつくまでの歴史をザックリと述べてきた。では、ここにサルサパリラはどうかかわってくるのか。アメリカ大陸が未だイギリスの植民地であった時代(17世紀)に、サルサパリラが飲まれていたという記録が残っている。
それは、イギリスの開拓団が飲酒をする際、ビールの代替品として、そこらへんに生えていた薬草やベリー、樹皮を原料とし、「Small Beers(小さなビール)」として飲んでいた記録があるそうだ(かの有名なシェイクスピアも作って飲んだらしい)。実は、サルサパリラとは薬草の一種であり(サルトリイバラ科シオデ属の植物)、このSmall Beersの原料の一部であった。これが家庭にどんどん浸透していき、自宅の庭で育てたサルサパリラと、庭の醸造施設でアルコールを入れ、嗜好品としてなじむ中で、気づけば「サルサパリラ」そのものがお酒の名前として呼称されるようになった。人間は、スラングを作るもので、例えば我々はマクドナルドのことをマクドと呼ぶが、サルサパリラ(Sarsaparilla)はサスパリラ(Sasparilla)と呼ばれた。お手軽かつ安価で作れるサスパリラは、決して上質なお酒ではなく、言うならば粗野なお酒であったが、だからこそ血と汗を流す西部開拓時代の人々にとっては、サルーン(当時の酒場の意味)での憩いの時間を過ごすともになったのかもしれない。サスパリラは、今では姿形を変え、アルコールが抜かれ、ソフトドリンクに変化して、この現代でも飲まれ続けている。名前はルートビア。ルート(サルサパリラの根っこ)から作られるビア(ビール)のような飲み物なのだが、日本ではドクター・ペッパーといったほうが一部の人にはなじみが深いかもしれない。味は、やはり薬草を使っているゆえだろうか、例えるならば「正露丸ジュース」である。「あー、あれか・・・(苦笑)」となる人もいると思うが、正直言って日本人の口には合わないのだと思われる。しかし、アメリカ人の友達は「Delicious」とか言って飲んでるので、日本人でいう「納豆」的なソウルフードの位置を確立したものなのだろう。
さて、先ほどサルーンという単語が出た。これについても少し深堀りしてみることにする。軽く説明はしたが、サルーンとは「西部開拓時代の酒場」のことである。たんに古い酒場、ということではなく、西部開拓時代の、というところに意味があるのだ。当時無法地帯であったアメリカ西部は、逆に言えば何でもできる、広大な土地と自由が手に入る場所で、色々な開拓者たちが夢をもって集まる場所であった。一方、アルコールは、輸送が簡単であり、なおかつ腐らないという利点があったため、開拓者にとっては都合がよく、じゃあそれを商品にしよう!という発想は極めて自然な流れであった。スイングドアが付いた、簡素な建物。バーカウンターといくつかのテーブル、そして大量のお酒。そこは多くの人のたまり場となり、サルーンを中心にいろいろなものが建てられ、町が築かれた。つまり、町の中心にはサルーンがあったし、街づくりの最初に建てられるものは、学校でも病院でもなく、サルーンだったそうだ。炭鉱夫や、カウボーイ、ガンマンなど、様々な血の気の多い男たちが集まるサルーンには、当然娯楽が集まった。売春行為や、様々な芸人、そして欠かせないのがピアノであった。ピアノといっても、ドビュッシーやショパンなどを弾くのでは当然なく、はちゃめちゃに明るく、リズミカルで、ダンスを付けて演奏されることもあり、酒場を活気づけるものであった。このような、サルーンでピアノによって演奏された独特な音楽のことを「ホンキートンク」という。これ、のちに出てくるので覚えててくださいね。
さあ、ここまでの予備知識を入れたうえで、やっと曲解説に入っていきたいと思う。
本曲はマッキー氏が吹奏楽作品として初めて書いた作品となっている。この曲が作曲される前に《レッドライン・タンゴ》が書かれているが、元はオーケストラのための作品であったため、ここでは除いている。彼の吹奏楽作品として最初期の作品となるのだが、マッキー特有の変拍子・オーケストレーションはこのころから健在である。原曲にはアコーディオンが入っているのが本作品の特徴であるが、今回はアコーディオンのソロをトランペット・クラリネットに振り分けて、親しみ深い吹奏楽の響きをお楽しみいただきたい。
曲は、一日のハードな仕事を終えたカウボーイが沈みゆく夕日と朱に染まる空を眺めているような、そんな哀愁が漂いつつもハードボイルドである姿をソロトランペットが歌い幕を開ける。かとおもえば、ウィップ(鞭のような音がする打楽器)の強烈な一撃により、アップテンポで曲が走りだす。さながら、カウボーイにおしりを叩かれた馬が走り出すように。
曲は、トムとジェリーを彷彿とさせるようなコミカルなメロディーと、時折入るドスの聞いた低音群による旋律を交互に繰り返して進んでゆく。クラリネット、ホルンのソロを経て、クラリネット群により主題が歌われると、フルートとスティールドラムによって南国を想起させるような、リラックスした旋律が歌われる。カリブ諸島を想起させるメロディーであり、途中には「Molto vibrato, Mariachi-style」(メキシコ風に大げさにビブラートをかけて)と指示のあるソロトランペットが入るなど、アメリカ西部だけでなく、アメリカ全体のウキウキとした雰囲気を表現しようとする作曲者の意図が垣間見える。そして曲は再び主題に戻ったのち、急にブレーキをかけてゆく。曲のテンポを支配するテンプルブロックの音が馬の蹄のように響き、立ち止まりそうになったかと思うと、急に「honkey-tonk」(ホンキートンク)と指示されたピアノによるトレモロによって、曲の舞台は一気にサルーンへと移る。ファゴットとテンプルブロックによる牧歌的な伴奏が始まり、ソロクラリネット、そして「hard blues」と指示されたテナーサックスによるソロが始まる。サルーンでお酒を飲んだコワモテの開拓者たちが、酔いが回り、赤ら顔で熱唱しているような、そんな男だけの世界が広がるようだ。ドラムも途中から参戦し、ジャジーで大人な酒場の雰囲気が曲を支配する。トランペットにより主題が朗々と歌われた後、曲は非常に重たい重低音の打ち込みで停止する。重低音だけで止まった時間が、ゆっくり、ゆっくりと動き出していく曲の雰囲気は、酒に酔いつぶれた男たちが、二日酔いにズキズキ痛む頭を押さえながらも起きるような。あれ~~~サスパリラ10本開けたとこまでは覚えてたんやけど・・・という声が聞こえるようである(言っていない)。テンポが徐々に上がっていく様から、頭が覚醒していく様子が想起され、完全にテンポを取り戻し、バンド全体による演奏で曲はクライマックスを迎える。西部アメリカを舞台としたドタバタハチャメチャコメディーミュージックは、《星条旗よ永遠なれ》の旋律や、《そりすべり》を彷彿とさせるトランペットによる馬の嘶き(いななき)が聞こえてくるなど、やりたい放題をして最後までドタバタに曲を締めくくる。
僕は、吹奏楽やクラシックが好きな理由として、作曲者の考えや世界観、当時の情景などが、音楽に乗ってふわりと頭をくすぐるからである。この曲を通して、観客の方々に西部開拓時代の泥臭さや、快活さ、そして酒臭さが伝われば幸いである。
ジョン・マッキー(John Machey)
1973年にアメリカのオハイオ州ニューフィラデルフィア生まれの作曲家である。音楽家の両親の間に生まれたマッキー氏であるが、息子に音楽教育をさせることはなく、その代わりにマッキー氏は祖父から楽譜の読み方やコンピューターによる楽譜作成を教わった。そのため、幼少期は音楽の正式な教育を受けておらず、「教育」よりも「楽しむこと」を体験した彼は、自分自身の音楽を描く様になったそうである。その後、クリーヴランド音楽大学に入学、1995年に学士号を取得後、ジュリアード音楽院で1997年に修士号を取得した。代表作品としては、当団では前回の定期演奏会で取り上げた《アスファルト・カクテル》がある。他には、オストウォルド賞を受賞した《レッドライン・タンゴ》、《オーロラの目覚め》や、近年日本の吹奏楽界隈で大流行している《交響曲「ワイン・ダーク・シー」》などが挙げられ、心を揺さぶるビート感とアクロバティックに飛び交う音の波がイチオシの新進気鋭の作曲家である。