We’re All Alone
吹奏楽におけるポップスに、長く親しまれるマスターピースと呼べる曲がいくつもあります。Your Concertの3曲目にお届けする『We’re All Alone』も、そうした名曲・名アレンジの傑作と言えるでしょう。Gambit Conductorsの良心、真柄靖行が語るプログラムをどうぞ。
We’re All Alone 指揮:真柄 靖行
『We’re All Alone』を演奏する上で、曲名をどう日本語訳するのか?どう解釈するのか?が大変重要なポイントであることを先にお伝えする。なぜなら、この曲は原曲とカバーアーティスト版によって邦題が異なっており、個人によって異なる解釈が可能な曲だと考えられるからである。この後曲名の日本語訳の解釈について詳しく記載するが、今回我々King’s Gambitが演奏する表現の背景には、その解釈が大いに関係している。そのことを踏まえてこの曲目紹介と本番の演奏を楽しみにしてもらえればと思う。
『We’re All Alone』とは、アメリカのミュージシャン:ボズ・スキャッグス(Boz Scaggs)によって1976年3月に発売されたアルバム『シルク・ディグリーズ』に収録されている曲である。この曲は現在ではボズの代表曲の一つに数えられているが、実は発売当初からヒットしていた訳ではなく、後に多くのアーティストによってカバーされたことで有名となった曲である。最も有名なカバーは、1977年のリタ・クーリッジによるものであり、他にも日本では2005年と2009年のアンジェラ・アキなどが挙げられる。
さて、冒頭にて邦題が原曲とカバーアーティスト版で異なると述べたが、その内容は、原曲では「二人だけ」、リタ・クーリッジやアンジェラ・アキなどのカバーでは「みんな一人ぼっち」となっている。どうしてこのような違いが生まれたのだろうか?それは、この曲の歌詞を個別的と解釈するか普遍的と解釈するかなど、複数の解釈が存在するからであると考えられる。以下代表的な2つの解釈について紹介する。
個別的解釈だと考えられる原曲の「二人だけ」には、目の前にいる恋人に「私たち二人きりだね」と囁くラブソングであるという意味が込められている。それは、歌詞の中に恋人を意味する“ami”や“my love”、一人称複数形である“us”が使われていることから読み取れる。また、他にも薄暗い部屋の中で過ごしている描写(窓を閉じて明かりを落とす)とその部屋から二人が同じ風景を見ているような描写(雨、海、波など)があることから、若者の青春のような爽やかな恋ではなく、落ち着いた大人の愛を表現していると考える。それは、よどみなく流れるテンポと、語りかけるようなメロディーからもうかがえる。
一方、普遍的解釈だと考えられるカバー版の「みんな一人ぼっち」には、物理的、精神的に二人の距離が離れていること(=孤独)が解釈の根底にある。その中でも複数の解釈が存在し、例えば、遠距離恋愛をしており目の前に恋人がいないというもの、人間はみな一人だからともに歩く人(=恋人)を求めているというもの、死んでしまった主人公が自分の死を悲しむ恋人を励ましているというものなどである。これらは恋人の有無に関わらず孤独を感じる瞬間とその背景にスポットを当てたものであり、決して単純なラブソングではないことを意味している。
以上、2つの解釈を掘り下げてきたが、これらを踏まえて今回演奏する『We’re All Alone』の日本語訳/邦題として考えたのは、「君は一人じゃない」である。これは個別的解釈の「二人だけ」をベースにしており、目の前で落ち込んでいる恋人(家族や友人でも誰でも可)に対して、「大丈夫、私だけは君のことを理解している、君は一人じゃない(=世界で君のことを理解しているのは君と私の二人だけだ)」と、そっと静かに励ますことを意図している。このように解釈した理由は、初めてこの曲を聴いた時、決して暗いイメージではなく、むしろ未来に向かって頑張ろうとエールを送る曲のように思えたからである。そして何より、素晴らしいメロディーから表面的な喜怒哀楽ではなく心の奥から湧き上がる内面的な感情を思い描いたことが大きな理由である。
しかも、メロディーのような目立つパートだけでなく、ハーモニーやリズム、ベースといった裏方からも、同様の印象を受けた。実は、今回の演奏ではこれら裏方パートの表現について徹底的にこだわった。先ほど述べた内面的な音楽を表現するには、メロディーだけが感情豊かに演奏しても成立しない。むしろ、それを支える裏方パートがしっかりと音楽の土台を作らなければ、薄っぺらい音楽になってしまい、聴く人に想いを伝えることができない。本番の演奏を聴く時には、全員で一つの想いを表現するための縁の下の力持ちである裏方パートに注目して聴いてほしい。
いろいろ述べてきたが、結局のところ「君は一人じゃない」という邦題は、原曲ともカバーアーティスト版とも異なる独自の解釈に基づいて命名されてしまった。しかし、これが『We’re All Alone』の特長である。なぜなら、ボズはこの曲を作るにあたって歌詞づくりが非常に難航しレコーディングが始まっても完成せず書き足しながら録音したことを明かしたうえで、「この曲の意味は自分の中でも完全にはわかっていない」と語っており、作詞作曲したボズでさえ明確な結論が出ていないのだ。すなわち、各個人がこの曲を聴いてどう感じるか?がすべてであり、その数だけ『We’re All Alone』の邦題があるといっても過言ではない。したがって、「君は一人じゃない」もまた正解と言える、はずだ。
最後に、この情報をもとにボズ・スキャッグスの原曲とリタ・クーリッジやアンジェラ・アキのカバーを聞き比べてみてほしい。どこを強調して歌っているか、テンポはどれくらいか、イントロやエンドはどのようなアレンジか。これら情報を意識して聞くと、どういった想いで歌っているのかがはっきりとわかると思う。たかがポップスの1曲かもしれないが、その中にはたくさんの仕掛けと想いが詰まっている。何度も繰り返し聞いて、是非自分なりの『We’re All Alone』を見つけてもらえたら幸いである。